日比の歴史に・・・


日比の歴史に・・・ - 委員長 Home

2007/06/12(Tue) 16:37
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下のスレッドが満タンになってしまいまして、Michaelさんの書き込みからのバータさんの>>『様々な比日関係の歴史を経験してきても、尚日本人に対して友好的な彼ら。』『少しでも歴史であるとか秘話であるとか、歴史の真実であるとかを知ってれば、他人の家(土地や心)に土足で上がりこむような愚業は絶対に出来ないと思うんですけどね。 』の言葉に対し、わが気持ちを書こうと思ったのですが、という事で新たなスレでタイトルも変えまして行こうと思います。


さて、わたしの初渡比ですが、2000年の2月の事でしたが(これより15年前にシンガポールへ仕事で行く途中にトランジットで寄った事はありましたが)、もちろん今の女房が空港に来てくれるのかといった不安もありましたが、それと共にかつて日本が結果的に大きな迷惑をかけてしまった国へ行くんだという気持ちもありました。

まぁ、いまさら彼の地で日本人という理由のみで石を投げられる事などは無い事はもちろん理解していました(^_-)

よくある、無理矢理にあのときの罪を我々の年代がわざわざ現地の方に謝る必要がないこともわかっていました。


たまたま、バタンガス州のナスブという土地に初渡比以降わりといる時間が多かったのですが、ここには、あの戦争で爆撃を受けたという石造りの教会がありまして、そこへ現地で出来た友人が「連れて行ってやる」って言ったときには「あれ、やっぱりなんかあるのかな」なんて思ったりもしました。

70過ぎのおじいさんに「日本人を見るのはあの戦争以来だ・・・でもお前はあの時見た日本人と違って背も高いし体格もいいな」って軽く言われたりもしました。

ちなみに女房の父は戦争開始当事に生まれたばかりで、日本軍が通るときにはタンスの中に隠したそうです。

そうそう、ナスブは海沿いの町なんですが、ここの沖にあのルバング島がありまして、わたしが「行きたいんだけど」って言ったら「う〜ん、そのうちな」と言われてそのままになっています。


これもどこまで真実かはわかりませんが、よく軍人だった方が慰安でフィリピンを訪れるようですが、なんかついでに女買っちゃったりしたりもあるようで、これってどうなのって思っちゃたりしますね。。。

わたしは別に左翼ではなく、一部の方はご存知でしょうが決して右ではありませんが愛国心はしっかりと持っております。

だからこそ、先人が多く散ったあの国で、その先人たちの犠牲によって今日本人として命と国土を与えられている身として、全てを身奇麗にするべきだとまでは言いませんが、それなりの身の施し方はあるように思います。


ということで、たまたま今日がフィリピンの独立記念日と言う事もありますので、こんなスレッドを立たせていただきました。

(添付しました写真は、わたしとそのおじいさんです)

 
Re: 日比の歴史に・・・ - バータ

2007/06/12(Tue) 23:34
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フィリピンと出会った20年以上も前。
二十歳そこそこでラグナ方面をふらふらした事があります。
モンテンルパなんかで、こちらが日本人だと解ると、片言の日本語で話しかけられてビックリしたり嬉しかったりした事を思い出しました。

 濛々と立ちあがる砂埃と共に、日章旗とフィリピン国旗を握り締めた子供達の一団が押し寄せてきた。子供達は、バンバン村を去ろうとする、我々日本人一行に大歓声を上げて「日の丸」を振りつづけるのだった・・・。
  平成12年10月25日、フィリピンでは、パンパンガ州マバラカットをメインに、タルラック州バンバン、同州カパスの3か所で、「神風特別攻撃隊」をはじめ戦没者の慰霊祭が挙行された。私は、その3か所すべてをl日で回って歩いたのだが、フィリビンの子供達が会場を去る我々日本人訪問団に日章旗を振ってくれたのは、そのうちのバンバン村でのことだった。東南アジアの国々から、常に戦争の責任を追及されていると思い込んでいる我々日本人にしてみれぱ、かなり意外で嬉しいハブニングであった・・・。
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/gaikoku_kamikaze/kamikaze_philipine.html

ここで先の大戦云々を語ろうというわけでは有りません。

パンパンガではこのような事実があり、ところが変わってレイテであるとか、日本兵が残虐行為を行った地域ではまた違った感情を抱いてる人も居るかもしれない。

しかし、パンパンガでは神風を通して少なくても日本人を好意的に見てくれリ人たちが居る。

そんなあ事実を知っているだけでも、出会ったフィリピン人がパンパンガ出身となれば、また違った印象を持つでしょう。

変な話だけど、私の家を増築してくれたのはパンパンガの職人達。
しばらくしてから彼らはパンパンから出てきてるって聞いて、急に親しみと言うか彼らの滞在中は厚遇しちゃいました(笑)

過去の歴史を知らないが為に、大きく彼らを傷つける行為をしてしまったり、逆にもっと近づくチャンスを逃してたりとかってあると思うんです。

家庭内が円満で、時間的、精神的に余裕があれば就寝前の読書代わりに歴史探索なんてのも良いのでは?(笑)

 
Re: 日比の歴史に・・・ - Michael

2007/06/13(Wed) 05:11
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バータさん、前のトピでもそうだったのですが、援護射撃をして頂いているかのようで、ちょっと嬉しいです。いや、いっぱいかな!?

私のミクシー日記に、前のトピでのコメントを加筆して載せましたので、加筆部分を引用することでちちょっと楽させていただきますね。

『いま私が頻繁に訪れているブログなどは、以下のところです。

フィリピンパブでの生活 http://pinabi.blog80.fc2.com/

日比国際結婚を薦めない委員会 http://bbs11.fc2.com/php/e.php/antimarriage/

フィリピン羅針盤 http://atbb.jp/hilkompuss/index.php

《中略》
マスコミなどが報道する場合、関係者のコメントなどを抜き出して使いますよね。
すると、マスコミが強調したい部分だけが抜き出されてメディアに流れるから、発言の全体を通して考えればもっともなことが、極めてケシカランことを言ったようにされることがあるわけです。

興行ビザの問題の経緯の中で、興行で来日し外国人クラブで働いていた芸能人と称する外国人達=ホステスで、かつ=売春、みたいな報道がされたけれど、=ホステスまでは言われて仕方の無いものとしても、=売春は断じて許せない。
一部で無かったとは断言できないが、ほとんど全てがそうだと言わんばかりの報道は逆に人権侵害であると言えます。

土台無茶な報道なんです。
外国人クラブへ遊びに行って、タレントさんと知り合って結婚した方と言うのは、買春していて、その相手の一人と結婚したって言うことになる。
それこそ余程の博愛主義者じゃなければ、そのような事にはならないと思います。
日比間の国際結婚世帯が7万とか9万とかだったんじゃないかと思ったんですが、そんな馬鹿なことは有り得ない。
でも、知らない人は簡単にステレオタイプで擦り込まれちゃうんですね。
それだから、子供の前で平気で決め付けたような言葉を吐く親がいる。
子供は簡単にそのことを覚えていて、フィリピン人女性を親に持つ学校のクラスメートをつかまえて、母親を含むフィリピン人のタレント達は売春をやっていたんだろ!みたいな言葉を投げつける。
こんな言葉の暴力でどれだけ子供たちが心を傷つけれたかしれない。

国と国との関係を考えたってそう言うことが多々あるわけです。
フィリピンの現在は歴史の一断面。
理解を深めて考えるには、歴史を振り返ってみるのも良いかもしれないなと思ったんですね。
現在の一事象を捉えて、フィリピン人サル論みたいな表現もインターネット上には散見されるけど、そういうモノの見方はあまりにも悲しいと思います。

ハワイ、南米、北米、フィリピン、西インド諸島などへ渡った日本移民の子孫である日系人(もはや日本人では無いとも言えますが)に対する日本国の対応や世間の見方もちょっと近視眼的過ぎやしないかなとも思うこともあます。
かつて日本という国が貧しい時期があったために、言ってみれば、体の良い「口減らし」「厄介払い」「海外出稼ぎ」を国策としてやって外国に受け入れてもらっていた事実があります。
今の日本国政府はその歴史には全くと言って良いほどの頬かむりしているようにさえ見える。

我々はたまたま今の日本に生まれたから、経験しないで済んでいることがある。
日本に生まれていなかったら?
戦争に兵士として前線に立たせられる状況にいたら?
戦前の貧農として、娘を売らなければ生きてゆけなかったとしとしたら?
やはり貧農の次三男として移民しなければならなかったとしたら?

相手の立場に立って、と簡単に口にするけど、疑似体験できるだけの情報や経験がないと、それは簡単なことじゃない。
だから、人を“思いやる”なんて簡単じゃないんですよ。

私は一応カトリックなのだけれど、日本では年に1〜2回自分が行きたくなった時以外教会へ通うことはしていません。
宗教と政治の話題はなるべく避けるべきトピックスだと思っていますが、あえて引き合いに出します。
教会のミサに集まる場合に限らず、宗教関係の行事で人が集まるところと言うのは、本当に自分を含めて相手の幸せの手助けをしたいと考えている人も確実にいる反面、上辺だけ、口先だけで、さも他人に優しそうな言葉を投げかける人達が多すぎて、私にはしらじらしい仮面舞踏会にしか見えず、そのような場所へは行きたくないからなんです。

ミサなどの無いふつうの時に、庶民が集まってくるバクラランやキアポの教会に行ってみると、全然違うんです。
所詮は“神頼み”“懺悔すれば何でも許してくれる宗教だから”と一蹴されてしまうかもしれませんが、一人ひとりの祈り方は正に鬼気迫るものがある。
他人にお為ごかしの言葉を投げかけるような余裕なんか無いんです。
この人達の多くはきっと自分以外には、国や政府、他人にもすがることができないから、神様にすがるしか他にすがる相手がないのじゃないかなと思えるほどです。

それでも周囲に困っている人間がいれば、援けようとする優しさがあるフィリピン。

私は少なくとも今の日本社会より、フィリピンの方にある種の郷愁と魅力を感じています。




 
Re: 日比の歴史に・・・ - バータ

2007/06/13(Wed) 09:21
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Michaelさん、非常に共感できます。

>我々はたまたま今の日本に生まれたから、経験しないで済んでいることがある。
日本に生まれていなかったら?
戦争に兵士として前線に立たせられる状況にいたら?
戦前の貧農として、娘を売らなければ生きてゆけなかったとしとしたら?
やはり貧農の次三男として移民しなければならなかったとしたら?

これは日本の近代史ですが、それを知っているだけでもフィリピンが国策として推奨しているOFW政策だって、頭ごなしに冷笑出来ないはず。

>相手の立場に立って、と簡単に口にするけど、疑似体験できるだけの情報や経験がないと、それは簡単なことじゃない。
だから、人を“思いやる”なんて簡単じゃないんですよ。

仰るとおりですね。
でも現実的に同じ体験をする事は色々な事柄で難しいわけですから、せめて歴史であるとか時事であるとか「知る、考える、思いを巡らせる」と言った事が大切になると思っています。

それで彼らの思考であるとか胸のうちがわかったとか、解るとか言うつもりは毛頭ないですが、何もしないよりは少しでも理解できると思います。

美味く言えないんだけど、そんあ知識や暖かい気持ちってオーラになって出ると思うんです。

そのオーラは彼らには見えるんじゃないかって思うときが有ります(笑)

これがポジティブなオーラだとすれば、当然ネガティブなオーラも見透かされる・・・・

 
Re: 日比の歴史に・・・ - 委員長 Home

2007/06/13(Wed) 10:51
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おはようございます。
1週間ぶりに下痢も治まりましてようやく普通のウンチが出ました・・・かなりホッとしております・・・・・m(__)m



バータさん、Michaelさん、おはようございます。

こういう話はどんどんしていくべきだと思います。

わたしたちが日本という国の大きな歴史という幹になった一つ一つの枝や葉や花や果実であるのと同じように、彼女たちもフィリピンと言う国の歴史という幹になった者たちです。

『お互いを知って、始めてお互いを尊重(尊敬)できる。』

という事以外にはないのではないでしょうか。


『フィリピン人と日本人の歴史』http://www13.ocn.ne.jp/~daddyjan/page035.htmlというのを前にあったサイトに掲載したときに、わたしとしては「これを読んで、ここからいろんな疑問や興味を抱いて新たにそれぞれが自ら調べていって欲しい」という希望がありました。

そうすることによって、巷間いわれている“フィリピン”という国やそこの人への偏見的なものに対して、はじめてしっかりと論理的に反論が出来るようになるわけで、そういった歴史を知る事により、そういった偏見的なもの対してただ「違う」と意固地になって言うだけではなく、将来的にどのようにそれを払拭していくかというヒントも見えてくるはずです。

マスメディアが世論への印象付けの為にステレオタイプの報道をした際に、ただ単にそれに対して怒りをぶつけるのではなく、そういったものにはやはりインテリジェンスで対応していく方がより効果があるという事はすでに立証されているでしょう。

 
Re: 日比の歴史に・・・ - ふん

2007/06/13(Wed) 11:01
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フィリピンの歴史でしたら庶民フィリピン人よりここの人たちのほうが
よっぽど詳しいと思います。教育でしょうか・・・
それとも過ぎ去った出来事には興味がないのでしょうか・・・
「昔は日本よりフィリピンのほうがお金があったんだよね」
なんてフィリピン人がいうと、意味も無く切なくなったりします。
またバロンタガログ(スペイン統治時代のフィリピン人管理用の服)を
フィリピン人の正装として愛用してきたとか・・・大戦当時の話でいえば
歴史上の出来事というのは、当事者、その親族、関係者などがすべて他界しますと、
出来事も本当の過去(現在から切り離される)に流されていきます。
フィリピンでは他国に比べもっと短期間に流されていると思います
なんと表現していいかわかりませんが、それがフィリピン人南国気質なのでしょうか
そういった部分に魅力を感じるのも確かです。
またそういう気質が発展を遅くしている要因の一部であるとも思います

はじめてダバオの実家にいったとき表で飲んでいまして、みんなが日本人を見に来てました。
その中で「おれはかつて日本人を見たことあるぞ」と言ってきた爺さんがいて、(それ以上通訳してくれなかった)まわりの雰囲気をみてるとドっとしらけていて、たぶん、それなりの話しをしているんだろうなって思いました。
おそらく、このバランガイでもこの爺さんがいなくなったら大戦も過去へ流し去られていくいくのでしょう。
過去をどうのこうのでなくとも、未来のために今の関係を恥ずべきものにしない事が大切でないかと思います。

 
Re: 日比の歴史に・・・ - たぬ爺

2007/06/13(Wed) 12:36
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委員長さん、皆さん、こんにちは。
委員長さん、お腹、収まったようで何よりです。私は、フィリピン滞在時、下痢が続くものですから、好い加減ウンザリし、それなら皆出してしまえばと、下剤を飲んだことがございました、これはお薦めできない体験談です(苦笑)。
暫く、ロム専状態でした。自身の知識、体験が重なり合わないのと、蜻蛉のシーズンになった為です。

さて、歴史、フィリピンで歴史を語るのは気の毒ですね。過去など無いのですから。侵略された歴史など学んでも、愉しくもないし力も湧いてこないでしょう。実際、そう思うのです。だから、昔を語らない。誇るべき父祖、先達たちを持たない歴史など、魅力ありませんもの。

 
Re: 日比の歴史に・・・ - 委員長 Home

2007/06/13(Wed) 13:24
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ふんさん、こんにちわ。

>>フィリピンの歴史でしたら庶民フィリピン人よりここの人たちのほうがよっぽど詳しいと思います。教育でしょうか・・・

日本で言うと、室町時代後半・・・まぁ600年は無い歴史ですからね・・・アメリカと一緒で。

日本で「歴史」を教えるという意味とフィリピンのそれは学校での教育という面では期待するものが違う可能性がありますね。

>>それがフィリピン人南国気質なのでしょうか
そういった部分に魅力を感じるのも確かです。
またそういう気質が発展を遅くしている要因の一部であるとも思います

南国的な部分はあるでしょうね・・・やっぱり寒い国の方が執念深い性格になるでしょうから・・・・・

>>おそらく、このバランガイでもこの爺さんがいなくなったら大戦も過去へ流し去られていくいくのでしょう。

嫌な歴史(記憶)は、それを思い出させるたびに何か利益が生じるか(中韓方式)、本気で頭にきているかのどちらかで、生活していく事自体が目いっぱいなら、そんな事を毎日気にしているわけには行きませんからね・・・・・・




たぬ爺さん、こんにちわ。

わたしは渡比するたびに下痢はしていまして、その度に「コレラか」と思っていたわけですが、今回は日本にいながら「コレラか」と思ったわけで、非常に単純な頭の構造をしている事が今回良くわかりました・・・^^;


>>誇るべき父祖、先達たちを持たない歴史など、魅力ありませんもの。

こういう気持ちも日本の歴史と比べてしまうとわからなくはないんですが、わたしは“ボニファシオ”には非常に共感を持つんですよ。

ただ“ホセ・リサール”はあまり好きなタイプではありません・・・

リサールはスペインからの独立の精神的支柱・・・ボニファシオは革命の闘士であったっと思います。

今でもフィリピンに行くと『KKK』の旗が見られますが、あの旗の下に戦ったあの時期が、唯一フィリピン人が自国の独立のために自分たちの命を投げ出した一瞬だったと思います。


実はうちの奴とはこの辺の話は結構盛り上がるんですよ。

変わり者同士の夫婦なもので・・・(^^ゞ

 
Re: 日比の歴史に・・・ - バータ

2007/06/13(Wed) 23:11
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>リサールはスペインからの独立の精神的支柱・・・ボニファシオは革命の闘士であったっと思います。

チェ・ゲバラとフィデル・カストロ・・・
そんあ感じなのかな?(笑)

>実はうちの奴とはこの辺の話は結構盛り上がるんですよ。

歴史教育の成果ですね(^^)

嬉しくないけど、アジアで1位〜2位を争うスラムがあるトンド。
トンドだって初めから今のような街じゃないし、スラムが有ったわけではない。

60年代は労働者の町として栄えた。
70年代、アサワ・コの親父さんがトラック運転手を生業とし当時この街に来た。
住まいは公団が販売した分譲で持ち家。

何時からでしょうね〜経済が減速し始めたのは。
戦後一番早く復興した国だったのに・・・・

マニラの台所と呼ばれるナボタス・・・

60〜70年代半ばまでは、それこそ漁港の町として栄えてた。

なのに何時からでしょうね〜今のようになってしまったのは。

60年代に調印された通商航海条約。
フィリピンの零細企業へ大打撃になるとして、10年以上も批准を拒み続けた上院。
最終的には戒厳令を敷いて批准したマルコス。

この空白の10年間にフィリピン経済は、近隣諸国から取り残されて行く結果になった。

強行策をとり通商航海条約を批准したマルコス政権。
本来ならば国民に大きな犠牲を払って貰う代わりにフィリピン経済、国家財政は回復されるはずだった。

しかし、起こった事は腐敗したマルコス政権の国家財産の略奪。
そして貿易の障壁が大きく取り払われた。
ナボタス漁港には日本の大型漁船を接岸させる為に、海底を大きく削岩し水深を深めた。

その結果起こった事は、大きく潮の流れが変わり沿岸漁業を営んでいた地元漁師の魚場を完全に破壊してしまった。

このような話が高校レベルで行われているとは思いませんが、大学ならば109年前の出来事から近代史に至るまで、様々な講義がもたれてます。

こんなところからも、学生が政治に対して熱心な人が多いのも理解できる。

確かにフィリピンの歴史は侵略された歴史。

戦後、完全に独立国家になったように見えても、アメリカの影響力は相変わらずで、尚且つ政治の腐敗からいまだに搾取される国民。
楽しかろうが不愉快だろうが、歴史から学ぶ事は大切だと思います。

で、過去の歴史から若者達が学んだ事が、エドサ革命にもつながったのだと思います。

劣等感・・・
時として自分のおろかさを正当化する自己満足的な感情ですけど、そこから生まれるエネルギーもあるわけで、自国の歴史を見て生まれてくるパワーもあると思ってます。

スペイン、アメリカ、日本・・・・
自分としては”中指”を立てるぐらいの気合が欲しいんですが、それが出来ない優しさ?また現実主義な国民。
それがとても魅力であり物足りなさを感じる面でもあります。


敵も見方も自分の国の為に戦った英雄・・・
先の大戦でフィリピン人は、日本側についたもの、アメリカ側についたものが居たわけで、どちっらもフィリピンの為を思って戦った。
同国人が殺しあった戦闘も有ったと読みました。

私には皆全て誇れる先人に思えます。

歴史がないだけに、まだこの先は白紙ページが沢山あるわけで、折角フィリピン人を家族に持つ機会に恵まれたわけで、そのサラな紙に家族を通して汚点ではなくて、鮮やかな・・何色にしよう??
ピンクでも良いや、汚点以外の足跡を残したたいです(笑)

 
Re: 日比の歴史に・・・ - 委員長 Home

2007/06/14(Thu) 09:15
*.ocn.ne.jp

おはようございます。
いよいよ今日辺りに関東地方も入梅しそうです。
でも、あまり降らない梅雨かもしれませんね・・・


バータさん、おはようございます。

>>>実はうちの奴とはこの辺の話は結構盛り上がるんですよ。

>>歴史教育の成果ですね(^^)

一緒に靖国神社行って、遊就館で3時間も展示物に食い入っちゃうふたりですので・・・・・(^_-)


>>戦後一番早く復興した国だったのに・・・・

日本との講和条約もかなり早く締結し、同時期に交渉していた韓国とのあまりにも大きな抵抗の違いに、思わず多めに賠償金を払ってしまったという事もありましたからね。

>>ナボタス漁港には日本の大型漁船を接岸させる為に、海底を大きく削岩し水深を深めた。
その結果起こった事は、大きく潮の流れが変わり沿岸漁業を営んでいた地元漁師の魚場を完全に破壊してしまった。

そんな事もありましたか・・・

>>こんなところからも、学生が政治に対して熱心な人が多いのも理解できる。

年代で比較してみると、あきらかにフィリピン人のほうが若い世代での自国の政治への関心は高いでしょうね。

まぁ、高くならざるを得ない状況があるからという事もありますけど。



何でもいいから、奥さんやパートナーにフィリピンの歴史って聞いてみたらどうでしょうね。

もしかしたら、そこで新たなる一面を見つけることも出来るかも。

パートナーの本当の姿が、その話の中からにじみ出てくるなんて事もあるかもしれません。


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